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京都地方裁判所 昭和45年(わ)1209号 判決

主文

被告人を禁錮七月に処する。

ただし、この裁判が確定した日から二年間、右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四四年一〇月一一日午後九時四ごろ普通乗用自動車を運転し、京都市上京区堀ノ上町一番地先堀川通り(制限速度毎時五〇キロメートル)を南進し、交通整理の行なわれていない上立売通りとの交差点の手前にさしかかり、時速約五〇キロメートルで同交差点を通過直進しようとした際、自動車運転者としては、同交差点北詰には横断歩道が設けられているので前方を注視することによって同歩道上の横断歩行者の有無を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、後続車の前照灯の光りが自車の運転席内のバックミラーに反射するのに気をとられて前方注視を十分にせず右歩道上に横断歩行者はいないものと軽信し前記速度のまま進行を続けた過失により、折から黒田千太郎(当時七五歳)が右歩道上を右(西)から左(東)に向つて横断歩行するのを前方約一四メートルの地点に近接してようやく発見し、あわてて急制動措置をとつたが及ばず、自動前部を同人に衝突してはねとばし、よつて同人に脳挫傷等の傷害を与え、同月二七日午前八時五二分ごろ同区堀川通今出川上る北舟橋町八六五番地堀川病院において右傷害に基づいて死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)〈略〉

なお、本件公訴事実によれば、検察官は被告人が制限速度毎時五〇キロメートルを約一〇キロメートルをこえる毎時約六〇キロメートルで進行した点にも過失がある旨主張し、証人小畑博人も当公判廷においてこれにそう供述をするけれども右供述をもつてしても公訴事実にそう速度の算出方法の客観性に大きい疑問があつて右供述は直ちに信用し難く、かえつて一般に用いられる公式、すなわち制動距離(左右両輪の制動痕の長さに差がある場合は、通常、双方の和の平均値からホイール・ベースの長さを差引いた長さ)に摩擦係数を乗じた数の二五四倍の平方根の数値をもつて初速度を求める数式によるのが相当であると解するものであるが、これを本件についてみるに、前掲実況見分調書によると、本件現場に印された制動痕の長さは、左輪による約16.1メートル、右輪による約16.4メートルであることおよび本件車両のホイール・ベースは約2.35メートルであることが認められるから、右公式の資料となる制動距離は約13.9メートルであり、同調書によると本件道路はコンクリート舗装で、事故当時は乾燥していたことが認められるから、通常、同所の摩擦係数は0.7ぐらいともみられるのであつて、右制動距離と右摩擦係数とを前説示の公式にあてはめて初速度を算出するとその数値は毎時五〇キロメートル弱になる。このことに、前掲実況見分調書によると、判示被害者は本件衝突により約17.6メートルもはねとばされたのであるから、被告人の運転車両は本件衝突の衝撃により著しく減速されたとは認め難いことをあわせ考えると、公訴事実にいうごとく被告人の本件車両運転時の速度が本件衝突前制限速度毎時五〇キロメートルをこえて毎時約八〇キロメートルもあつたと認めることは大いに疑問であるというほかはない。

つぎに弁護人は、被告人が本件車両を運転し本件現場付近にさしかかつた際には、街灯、対向車の光源の影響でいわゆる蒸発現象が起き易い状況にあり、もしそうであるならば、被告人が早期に判示被害者を発見し得なかつたことは不可抗力であつたというべきであつて、被告人は無罪であると主張するけれども、およそ、いわゆる蒸発現象とは、夜間、自動車運転者が対向車の前照灯の光りの影響によって道路センターライン付近の歩行者を一時的に視認し得ない状態であつて、眼球に生じるハレーション現象(従つて、生理現象たる眩惑とは異なる光学上の物理現象)といわれるものであるところ、本件顕出の全証拠を精査しても、本件当時右蒸発現象が生じたこと、あるいはその疑いがあつたことをうかがわせるに足る証左を見出し得ないから、右弁護人の主張は前提を欠き失当であり、その他本件事故が不可抗力であることをうかがわせるに足る資料は存しない。

(法令の適用)

刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条(禁錮刑撰択)

刑法二五条一項(基本的注意義務を怠り、何ら落度のない被害者を死に致した結果は重大であるというほかないが、当時の本件事故現場における歩行者の安全施設の不十分さが本件事故の重大さに無縁であつたとはいい難く、被告人は、本件について反省し、被害者の遺族に対しできる限りの誠意を示して示談を遂げていること、その他諸般の情状を考慮)

(吉川寛吾)

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